なんちゃってプロフォトグラファーの罪は重いか
なんちゃってプロフォトグラファーという言葉をご存知だろうか。
ちょっと写真が綺麗に撮れて、FacebookやInstagramなどのSNSでたくさんのイイね!をもらい、人から褒められたのを機にいいカメラやレンズを買い込み、友達のウェディング写真なんかを有償で撮りはじめて、名刺にフォトグラファーの肩書きを入れちゃったりしている人のことだ。
カメラの性能があがり綺麗な写真を撮ることが簡単になった昨今、ある程度勉強すればそれなりのレベル ( SNSにアップして『 わーキレイ!』とか『今度撮影お願いしたい! 』とか言われるくらい)を誰でも撮れるようになってしまった。
まだ趣味でやる分にはいいものの、友達の披露宴のメインカメラマンなんかを請け負って、外部フラッシュや設定を上手く使えず、肌が白く吹き飛んだり、背景が暗く落ちるいわゆる『 フラッシュ写真』やブレブレの写真しか撮れなかった時にはその罪は大きい。
『 お金をもらって写真を撮る』
という行為は考えている以上に重たい。
写真はその人の一生の一部を切り取り、一生残るものであるからこそ、お金を払い綺麗に撮ってもらいたいと思うのだ。
さらに言えばプロフォトグラファーは、キレイな写真を撮るだけではいけない。
いかにその時間や経験を楽しんでもらうか、写真を見てあのキラキラしたを思い出してもらえるかを考え、工程や現場の光と状態を加味し、ゲストの体調や気持ちを汲み取りながら撮影をする。『 ハイチーズ』のカタチばかりの写真ではなく、ゲスト同士の関係が写るフォトジャーナリスティックな写真にこそ価値があるのではないか。
フォトグラファーには国家資格も特別なライセンスもない。プロのフォトグラファーを名乗るということ今すぐ誰にでもできることである。
しかし、だからこそ、それだけ責任のある重たい行為であるという事は肝に銘じて置かなければならない。
自戒の念を込めて。